ブログ│光明寺

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嘉屋先生がとうとうお浄土へ行ってしまいました。

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令和3年6月14日のお昼頃、光明寺仏教婦人会前会長の嘉屋マサ子様が、満96歳の人生を生き抜かれ、仏様になられました。

表題に「先生」と書きましたが、故人は主に十勝方面で教鞭をとっており住職は直接の教え子ではありませんが、先生が50歳ほどのころ当地に戻られた時、住職は10歳ほどで書道や絵画を習っていましたので40年余りお付き合いになります。

50歳ころに体調を崩し故郷に戻られ当寺の前住職と前坊守に誘われ、お寺参りを始めてから念仏の人となられました。

かかりつけ病院の「看取り看護」という制度をおおいに利用し「入院や高齢者施設には死んでも絶対行かない!家で死ぬんだ」という決意を全うされましたが、親は勿論、夫や兄弟や甥姪といった身内と呼べる人がなく、周囲の心配は夜中など目が届かない時に亡くなられることでしたがそこは人徳でしょうか、日中に坊守付き添いのもと静かに最後の息を引き取られたようです。

昔、「臨終法話」という習慣があったそうです。

いざ、人生の今際に際し阿弥陀さまはちゃんとお浄土へ救ってくださることを耳元で説いたそうです。

私(住職)は亡くなる前々日の深夜、なんとなく気になり嘉屋さんのもとへ駆けつけました。衰えは着実に進んでいるようでしたが会話は出来ました。今しかないと思い嘉屋さんの耳元でこう言いました。

「嘉屋さんから阿弥陀さまを探さんでも、阿弥陀さまの方からもう迎えに来てくれとるからね、あと、お浄土にうちの前住職とばあちゃん、兄貴と姉がが居るからよろしく伝えておいて、まあ、俺はまだ行かんけどね」嘉屋さんは苦しそうな表情の中にも「分かってる分かってる、私をお寺に引っ張ってくれたご院さん(住職のこと、ここでは前住職のこと)とおばあさま(前々坊守)に会うのが楽しみだ…」とか細い声でウンウンと嬉しそうな表情で頷いてくれたお姿は住職として救われた思いがしました。

住職の私も敵わないと思えるほどの念仏者でした。

「平生業成」という言葉があります。

苦しい時の神頼み、仏頼みのお念仏ではなく、普段からお念仏を戴くことでよりお浄土が自分の行くべき所というご信心が積まれていくというのが平生業成で、嘉屋さんはその教えを実践された方でした。

忘れることの出来ない人が一人また一人といなくないっていきます。

住職は嘉屋さんから生前、自身の葬儀は光明寺本堂で執行するように厳命していました。

永年手を合わせ、慣れ親しんだ阿弥陀様のもとで。

それも今流行りの全面に生花を飾るのではなく、本来の葬儀の形の「紙華花(四華花とも)」という、紙で華を模した仏華を供えたら他には何もいらない、で、ご院さんと坊守さんとしゅんちゃん(住職の次男・俊慈)でお参りしてくれたら嬉しいと申されていました。

その命令を実行できたことが残念やら有難いやら。

嘉屋さんの遺影を見る度「私の願い通りでご院さん、よくやった」と褒めてくれているのか「私の言ったことと違う!」と言っているのか自信のない私には未だに判断がつきません…。

毎月のお参りでは「ご院さん、ちょっとすわって」と始まり毎回2時間程色々な話をしました。

次のお参り先の札幌の檀家さんが待っているだろうな、と時計をチラチラ気にしながら…、今はそういった一連はもう無いんだな、と胸が苦しくなるほど寂しいですね。

法名は「師徳院釋尼妙敬」生前に法名を戴いていました。

院号の「師徳」は住職が考えましたが、生前、教師を務め多くの子供たちを導いた「徳」を積んだ人生だったことでしょう。

先述の通りお身内がなく葬儀後はお寺で四十九日までの中陰を預かりました。

葬儀後、かかりつけ病院の職員の皆様が大挙してお参りに見えられました。

「それほど接点が多くはなかったのになんか思い入れがある」「とにかく頑固な人だったけど、信念はお見事でした」嘉屋さんの徳はちゃんと伝わっているんだな~、と伝わりました。

常に勝気だった嘉屋さんの姿は見えなくなってしまったけれど、あと数十年したらまた会えるわなあ。

最後の最後まで、嘉屋マサ子さんのままでした。

天晴な人生だったのでは…。

只々有り難うございました。

合掌 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 礼拝

最後までお読みいただき、本当にご苦労様でした。

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嘉屋さん(右)と仲良しだった岩本八重子さん(故人)

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前列中央で住職の次男を抱っこする嘉屋さん

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令和3年度のお盆のお参りをや~り~ま~す~よ~~

新型コロナウイルスの影響でストップしていたお寺でのお参りを今年初めて行います。

ご案内です→R3盂蘭盆会案内・オモテ ウラ

コロナ禍により6月までお寺の法要行事は中止です

一旦収まりをみせたかのように思えたコロナウイルスは生存をかけ、変異株と姿を変えて人の動きを嘲笑うかのようにには益々の盛り上がりを見せています。

本道でもついに300人の感染者を数え、いよいよいつ感染するかわからない状況になってきました。しかし、このゴールデンウイーク中に付近をお参りで回っていますと国道231号(石狩街道)では石狩大橋を境に渋滞が発生していました。確かに231号沿いは風光明媚な景勝地があり、厚田には道の駅があり、なんといっても桜並木で有名な戸田記念墓地もあります。あ~どっか行きたいと私も思います。若い時分は風情を感じることもなく、桜や紅葉を見ても「あ~、木だね~」としか思わず、テレビで旅番組が放送されていても温泉や郷土料理がでてきてもな~んもピンとこない多くの若者と同様に無味乾燥な人間生活を送っていた頃もありましたが、40代半ばころより目に飛び込んでくる桜や紅葉や本州の竹林などを見るとその見事さに脱力感を感じます。テレビ番組の「出川哲朗の充電の旅」や「太川陽介のバス旅」を見るにつけ、知らない場所を訪ねてみたい思いが沸々と沸き起こるのを感じます。

でもまだまだ暫くはマスク着用と手洗いでひたすら潜伏するに越したことはありません。

ただ有難いことに、当寺の関係ではご門徒を含め現在のところ、pcr検査を受診された方はいますが感染したということはないようです。

石狩市では80歳以上を対象としコロナワクチン接種の予約が始まったようです。今までお聞きした中で最も早い方では今月17日に一回目の接種が受けられるようです。

一つの大きな節目となることを願うばかりですが、光明寺では当面6月いっぱいまでは法要行事は中止といたします。

本来であれば、4月には布教使様を招き春季永代経があり、6月には石狩真宗連合の皆様のご参集のもとに見真大師親鸞聖人降誕会が勤められ同月下旬には日帰りバス旅行で胆振を訪ねる予定でありましたが、現状を受け中止することと総代会にて決定いたしました。

現状の回復が見込まれれば、8月に盂蘭盆会法要を行えればと願っております。皆様にはその都度お知らせいたしますのでその折には多くの皆様のご参拝をお願い致します。

あ~どっか行きたい~‼

本年もよろしくお願いいたします。1月の法要中止と定期総会は書面議決で…

しばらく投稿をさぼってスイマセン…

10月にはコロナ禍の影響で縮小ながらも報恩講をお迎えし、いつものお顔触れの方やしばらくぶりの方、そして初めてご縁を戴いた方のお顔も見えられ、予想を超えるご参拝の数に若干の不安を覚えながらもお寺を預かる住職としては有難さの中で務めさせて戴きました。

又、報恩講に先立ち修行しました住職の姉の33回忌法要には光明寺ご門徒御一同様並びに仏教壮年会様、仏教婦人会様、有縁の皆様より誠に過分なるお心遣いを賜りましたこと厚く御礼申し上げます。

報恩講以前より小爆発を見せていた新型コロナウイルスの感染者数がここにきて大爆発の増加を見せ、益々動きづらい世の中を迎え例年11月は「秋の永代経法要」を予定していましたが、コロナ禍の現状を見ますと中止にせざるを得ない状況となりました。

休座

報恩講のご案内

しばらくぶりに投稿します。皆様にはコロナウイルスの不安が付きまとう中で実に動きづらい日々を送られていることでしょう。お寺でも様々な法要行事の予定がありましたが、人が一堂に集まることは禁忌ですので全て中止です。今頃はお付き合いご寺院の報恩講が一斉に務まり行き来している時期でしたが、凡そどちらもお寺さんを呼ばず内勤めが当たり前になっています。始まってしまったものはいつかは必ず終息を迎える日が来ることを信じることしか術はありませんが、先が見通せないのは辛いですね。ただ、考えますと今年も異常気象や台風によって艱難辛苦な思いの中でなお踏ん張っている方々がいることを思うと、おかげさまで安住の地を与えられ、恐らくはまだウイルス感染もせず日々お参りに出られることはこの上なく有難いことと思わなければいけません。

今年の報恩講はコロナウイルス感染拡大防止の観点からいつもの二日間を一日だけに縮小し一座だけのお勤めになります。どれほどのお参りが見えられるか全くもって掴めませんが、お参りが少ないのも寂しいことですが例年と変わらない程来られたらそれはそれで不安が募ります。不安なかたはお参りをお控え頂きご自宅のお仏壇へお参り下さい。

報恩講のご案内です→オモテ ウラ

今年は嫁いで1年後に仏さまになった住職の姉の33回忌にあたります。お寺から離れた人間なので人知れず家族だけでひっそりとお参りしようかと思っておりましたが、次の50回忌を迎える17年後を思うと母は100歳の一歩手前でまだ元気かもしれませんが実質今回のご縁が最後かもしれんと、また、生前の姉を覚えてくれている方がいる中で法要を行うこともひとつの導きかと思い、誠に恐縮ですが報恩講の場をお借りし当日午後1時より

静明院釋尼法慧 俗名 東 法子の三十三回忌法要を修行させて戴くことと致しました。

皆様からのご香儀、ご供花、お供物等一切のお気遣いは拝辞申し上げ、お参りのお気持ちのみ頂戴致します。お参り戴けます方には喪服ではなく平素の装いでお願い致します。ちなみに、姉は「西井家」から「東家」へ嫁に行きましたとさ。

この頃、道内の感染者が高止まり傾向にありますのでご尊家の皆様には十分にお気を付け戴き、ともに乗り切りましょう。

光明寺寺報第9号を発行しました

ご覧ください(pdf)→第9号

6月の法要行事は中止致します

法要中止と消毒液お分けします➡お知らせです

新型コロナウイルスで世の中右往左往です

2月頃はまだ危機感がさほど無く、コロナウイルスっていったってインフルエンザみたいなもんで春には居なくなるだろ、と思っていたのがこんな事態になるとは思っておらず、まさにどう行動したらよいのかわからずそれこそ右往左往の日々です。「緊急事態宣言」が解除されたといってもその実感も心が解放される感も全く無く、相変わらず怯える日々が続きます。

公園で遊ぶ子供やスーパーマーケットでの家族連れに目を吊り上げ、自粛警察なる言葉もありました。マスクやトイレットペーパーの買い占めに奪い合い、この緊張下では仕方のないことかもしれませんが、このウイルス禍で初めて思い知らされることが多々ありました。

ウチの今春高1になった息子は4月に入学式を迎えさせていただきその後2日学校へ通ったところで休校になりました。今は家で朝から晩までユーチューブを見ながら暇を見て学校から課された宿題を、天気の良い日はのんびりと外で片付けています。

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写真の八重桜は前住職(父)が晩年買ってきた苗木を「植えろ」と言われ、たいした植栽の知識も無しに聞きかじりで植えてみたら見事に育っています。植えた当初は丈も1メートルほど、幹も親指の太さだったのが9年目には3メートルをゆうに超え幹も二の腕くらいの太さになりました。素人が植えたところですぐ枯れるだろう、と思っていたのがここまで育ってくれると嬉しく励みになります。

天候はいつにも増して不順で寒暖織り交ぜながらの日々、今は病院へ行きづらい最中ですのでくれぐれもご自愛ください。

ウイルス禍も始まったものはいつかは終わることを信じて、1日も早い終息を願うばかりです。ともに乗り切りましょう。

おかげさまでお寺の排水水洗化工事が行われています

 現在お寺では御門徒の皆様の尊いご懇念により排水水洗化工事が行われています。全ての排水は本堂東側に設置した浄化槽で浄化され、その後道路側溝へ排出します。同時に本堂廊下と第1庫裏等のトイレが今までの汲み取りから水洗化の工事も進められています。6月中旬には竣工の運びとなっていますので、皆様のお寺の新たに生まれ変わったトイレをご確認ください。車いすでも入れる多目的トイレも設置されます。

< 施工業者の皆様 >

大工工事:有限会社相澤建設様(住宅等数々の施工請け負っています。相澤建設代表取締役、相澤邦彦さんが当寺の御門徒で、今回の工事ではかなり無理を聞いてくれました。)

浄化槽設置工事:株式会社WAKOU様                給排水管布設工事:株式会社オカダ様

● 浄化槽設置工事 ●

~ 令和元年9月 起工式 ~

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 ~ 工 事 ~

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● 排水・トイレ水洗化工事 ●

~ 令和2年5月 起工式 ~

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~ 工 事 ~

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光明寺の中庭にあるこの無量寿碑は、現住職の兄貴(住職は次男で3人姉兄の3番目)が昭和50年3月に庫裏から出火全焼した際、12歳にして焼死し、その追悼として建立されました。兄貴が生きていたならば恐らく兄貴に寺を任せ、私はトラックの運転手をしていたかもしれません。トラック野郎に憧れていたので…。こうなったのは縁です。

↓は最後の汲み取り。永らくお世話になりました。

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工事の報告は進行具合により後日続きます。

春の永代経法要を行います。

法要のご案内←こちらをカチッと

コロナウイルスの蔓延で感染者続出の中、法要のような人が集まることを行ってよいのか悩みましたが、御門徒や有縁の方々と相談の結果、いつものお参りに見える方の数や顔ぶれなどを考え必要な準備を整えれば大丈夫ではないか、との結論に至り法要を行うこととなりましたが、ご心配な方はご参拝をやめた方がよいかと思います。ご信心も大事ですがお体の方がもっと大事であることをタレントの志村けんさんのご往生は教えてくれました。ドリフの中でも荒井注さんではなく志村世代の私にとって、志村さんはとても「死」とは縁遠く、復帰されるのが当たり前と他人事に思っていた矢先の驚きと悲しみの報せでした。私たちは私たちの尊い命を守ることを、志村けんさんの死を通して学ばなければいけないと思う報せでした。

様々な動きを見せる年度替わりの春ですが、世界中に感染の拡がりを見せるウイルス禍により大勢の人々が感染し、死に至る現実を報道で知るにつけ、昨今では大型台風や大地震の自然災害が多発し、まるで弄ぶかのようにを人の命が脅かされる要素が「これでもか」というように形を変え続々押し寄せ、年々地球規模での変化を感じさせられます。

今冬は3月中に殆ど雪が溶けてなくなるほどの記録的な少雪に加え高岡名物の吹雪がなくお参りに出るのが楽だ、と思っていた折のウイルス禍です。お寺の次男が先日中学校を卒業させて頂きました。卒業式は諸々省き15分ほどで終了し社会の現実を実感した次第です。

息子の高校入試は1日目に学力テスト、2日目に面接のはずがウイルス禍で面接が中止になり、息子には学力テストの1発勝負になってしまい合否は半々か?と発表の日を待っていましたがお陰様で志望校に合格でき当人や親もひと安心です。

12日にお参りにお越し下さる皆様にはくれぐれも出来る限りお気をつけ戴き、また、お参り出来ない皆様にも十分ご自愛戴き、この厳しい現実を共々に凌いでいきましょう。